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 vol.1 

 今年の2月、仕入れでホピの村を訪れた時、村の女性から 「2日後の土曜日に、第二メサのシパウロヴィでダンスが行われるので、ぜひ見に来て下さい。」と、教えてもらいました。彼女が言うには、私たちのような部外者、いわゆるビジタ−も ”O.K.”との事。
 本当は、2日後にはホピの村を離れて、違う街での予定があったのですが、めったにないチャンスなので予定をキャンセルし、2日後、再びホピの村シパウロヴィを訪れました。
 シパウロヴィは、ホピの第二メサのなかにあり、第二メサまで行くのに、かなり急な坂を登ります。やっとたどり着いたと思っても、村に行くには、さらに急な坂を登り切らなければなりませんでした。ですから、シパウロヴィからの景色は格別!さっき、通ってきた道路を走っている車はミニカ−にしか見えないし、遠くには、第一メサの村々が小さく見えました。
 村に入っての印象は、やけに煙のにおいがした事と、その煙が嫌じゃなっかた事。そして、大きな犬が、みんな放し飼いになってて、こわかった事。さらに、奥に行くと、村の中に3つのキヴァ(聖堂)があり、どれも天井の中央に、カチナ(ホピの精霊)が出入りする入り口とハシゴが立てかけられてありました。
 かなり待った後、どこからか秒を刻むような威厳のあるドラムの音が聞こえてきました。人波に流されていくと、村の中で一番高い場所にあるキヴァの中からマッドヘッドが現れてきました。ドラムを持ち、リズムをとる者や、「シャッ・シャッ」とガラガラを振る人、そのほか、ディアカチナなどいろいろカラフルなカチナが現れました。みんな出そろうと、家と家とのスキマの狭い通りを抜けて、ドラムとガラガラの音をさせながら、プラザの方へと去ってゆきました。プラザは、村の広場のようなもので、周りを囲むように家々が建てられていて、お祭りの時は、みんなその家の屋根に上がってプラザで行われているダンスを見学します。村の家々まで儀式中心に建てられています。
 もう終わりかなーと、おもっていたら、今度はキヴァの中から軽快なリズムがし、現れたのは
ロングヘア−カチナのご一行。マッドヘッドのご一行とは違いスラーと、背の高い細身で、軽快なドラムの音に合わせ踊っていました。
 そして、全てのカチナ(総勢20〜30人)はプラザからキヴァへ、キヴァから違うキヴァへと、移動を何度も繰り返していました。移動している間カチナそれぞれは、手に持っているきれいな色の飾りやお菓子、あるいは、カラフルに彩られたスティックを、道々子供達に手渡します。(多分、この光景は日本でいう、獅子舞が子供の頭をかむ的な、縁起物と解釈。) カチナがキヴァへ入ってしまうと中は見られず、何をやっているのか分からない。また、別のカチナたちがプラザで踊ったり村の中を移動するのも、何度も何度もやるので、いつの間にか飽きを感じていました。その時、プラザの方が少し、騒がしくなったかと思うと、今度はドッと歓声が湧いてきました。
 もう一度、走ってプラザに戻りよく見てみると、全身黒ずくめで一部だけ赤い顔をしたカチナが村の少年に手招きをしてプラザの中央に誘いをかけていました。その誘いは、半強制的なので少年は嫌々プラザの中央に駆け寄って行きます。
  何が始まるのか、わくわくしていると誘いをかけた黒ずくめのカチナが、地面にラインを引き、少年と2人そのラインに立ち 「よーいドン」で、プラザ一周のおいかけっこが始まりました。一周して少年がカチナに勝つと、そのカチナからプレゼントがもらえ、もし負けてしまうと、そのカチナの手で顔中墨をぬられたように、真っ黒にさせられてしまいます。
 このカチナのおかげで、威厳あるダンスが、かなり和んだきがしました。このカチナが、プラザに現れると村の少年達は、彼と目が合わないように、誘いがこないようにしているのが、あからさまで、その光景だけでもプラザから歓声が湧きます。さらに、おいかけっこが始まると、周りのみんなもヤッキになって、勝負が決まったときには、どちらが勝っても負けても、また歓声が湧く、そんなム−ドになっていました。こんな、和やかなム−ドの最中でも、他のカチナたちはダンスを続け、キヴァへ行ったり来たりを繰り返しています。
 雰囲気にもなれ、少し周りを見る余裕がでてきました。そこには、私たちのようなビジタ−が何人か来ており、他の部族なのであろう、ペンドルトンのショ−ルをはおり座っている女性や、白人の年配者たち、一見ヒッピ−風の若者たち、もちろん日本人は私たちだけでした。
 このホピの村は、写真を撮ることの他、メモや録音等、
あらゆる記録する事が禁じられている村です。そして、ここにいるビジタ−は全員このル−ルをきちんと守り、ホピの文化を尊重し礼儀正しく、楽しみながら見学していました。
  空がオレンジ色になり始めた頃、徐々に、周りの見学者達が帰り支度を始め、家路についていました。目の前では相変わらずキヴァからプラザへ、プラザからキヴァへの移動をつづけています。いつまで続くか、いつ終わるのか分からないので、私達も他の見学者に流されるように、ここで後ろ髪を引かれる思いで帰路を決意。
 車で2時間程離れた宿泊先の町に向け、ホピの村を後にしました。車中ホピでの事を思い返すと、なぜか心が洗われたような、きれいな気持ちになっていました。
 アメリカ大陸最古の住民といわれているホピ族。
偶然知り合った人から、偶然得た情報により『ホピの文化は今も生きている。』と、自分のこの目で見、痛感できたことは何よりも光栄で、また、とてもラッキ−な事だったと思います。太古より長い間受け継がれてきた伝統を、ホピの人々は絶やさぬよう大切に守り続けていました。そしてまた、今を通して将来へと大切にさらに受け継がれていくことでしょう。というより、受け継がれていかなければいけないと思います。
 そして、これはホピ内部だけの問題ではなく、私たちホピの村を訪れる側の問題でもあるように思います。 最近まれに雑誌で、インディアンに関する記事を読んだり、「インディアン保留地に出かける日本人が増加している」との情報を、耳にすることがあります。この記事を読んでいるみなさんのなかにもホピの村に行ってみたいと、思っている方がいると思います。その時はぜひ、おもしろ半分ではなく、彼らの文化を尊重し学ぶ位の気持ちで村を訪れ、
《村のル−ルを守る!》これこそが、ホピの人たちの文化を守るため、私たちができる唯一の事だと思います。私たちも常に、そのように心がけています。