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  vol.4
    《
我がKokopelliを訪ねて》      −前編−

  「ココペリに会いたい!」 なんとなくひそかにず〜っとずっとおもっていた。
 ホピのジュエリ−の人気者でもあるココペリ。でも、私が会いたいのは、ホピのモチ−フによく使われるあんなスマ−トなカッコイイココペリではない。
 7年前より我がショップのマスコットとなっている、あのココペリに会いたいのだ。
 ココペリとは、マフと呼ばれるキリギリスに似た熱の力をもつ虫人で、ホピの人々が定住の地をもとめ移民を開始したときに、ホピの人々を導いた。そして、彼は背中のコブの中に作物と花の種子を入れて運び、笛の音色によって熱を生み出し、どんな荒れ地にも豊饒をもたらしたといわれている。その後マフは、せむしの笛吹ココピラウ(ココペリ)という名のカチナ(霊人)として知られるようになった。大陸を移動しているとき、ホピの人々は南米の先端から北はカナダにいたるまであちこちの岩にココピラウの絵を刻みつけた
  そして、我がショップのココペリはというと、丸くてコロンとした、なんとも愛らしいキャrクタ−の持ち主。偶然、手に入れた「KOKOPELLI」という洋書には、全米至るところにココペリ伝説があり、又、場所場所によって様々な形で岩絵(ペトログリフ)として残っているという。ぺらぺらペ−ジをめくってみると、我がショップのココペリものっているではないか。それによると、我がココペリは、ニュ−メキシコ州サンタフェを20マイルほど南下したガリステオという盆地のどこかにいるらしい。
   これだけを手がかりにサンタフェの町にやってきた。
 翌日、ガリステオベイシン(盆地)のガリステオという町を目指しサンタフェを出発した。「今日、念願の夢が叶う記念日になるんだ〜」と、頭の中でココペリのペトログリフを見つけたときの自分や、一緒に写真を撮っている自分ばかりを思い描いて一人にやけていた。途中、ラミ−という町に朝兼昼の食事をとるため立ち寄った。ラミ−の町はガリステオまで、30分もかからない所に位置しているので、ここの人ならきっと誰もがココペリのペトログリフのありかを知っているかと思い、ついついウェイタ−に聞いてみた。・・・・・が甘かった。「この本にのっているココペリのペトログリフはどこにありますか?」「そんなの知らない」と、そっけない返答。不安がよぎる・・・・
   目指すはガリステオの町だ〜と、ラミ−の町をあとにした。ラミ−を出てすぐに、ガリステオの町を標示する看板が出てきた。標示に従い右折すると、ほどなくして丘の上に」ごろんごろんと岩山が見えてくる、見えてくる。
 そして、ガリステオの町らしく前方に家々が見えてきた。町の中に入ると、そこは「町」というには、ちょっと大げさなくらいの、家がポツンポツンと建ち並んでいるだけの集落にすぎなかった。道なりに車を進めてみても、ほんとうに家が所々に建っているだけで他に何も見当たらない。手がかりは「ガリステオベイシンのどこか」というだけのものだったので、あてもなくガリステオの町をただ走りまわった。走っても、走っても、何も見当たらない。途方にくれてしまい「やっぱりダメか〜」と思った瞬間、ふと、”GOOD IDEA”がひらめいた!
   「サンタフェの博物館に行って聞いてみよう。」気を取り直してサンタフェへ戻った。プラザの近くにある”アメリカインディアン芸術大学ミュ−ジアム”の観光案内所へ行って聞いてみた。すると、やはりココペリはガリステオにいるらしく、さらにガイドさんは「ガリステオの丘の上に馬のたてがみのように連なった岩山があって、その岩の中のどれかにペトログリフとして存在している。」と、おしえてくれた。現地の人、それも観光を専門とする人に「存在する」と言われ、天にも昇るかのような気持ちになった。そして、そこを見学するにあたり、「そこの土地は今はだれかの私有地となっているため、郵便局へ行って土地の所有者を確認していきなさい。」と、とてもありがたいアドバイスをしてくれた。
 我が愛しのココペリよ待っていろ、明日こそ必ず会いにいってやるぞ!
                     − ココペリを探す旅は、さらにつづく。−