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 vol.5
       《
我がKokopelliを訪ねて》      −後編−

 翌日、サンタフェの観光案内所のガイドさんが教えてくれたように、まずは、ガリステオの郵便局を目指し、そこの土地の所有者を調べることから始めた。宿泊先のサンタフェからガリステオへと移動している間にあれこれ考えていたら、1つの疑問がわいてきた。昨日、とめどもなくガリステオの町の道という道を車で走りまわったが、「郵便局なんて立派なそれらしい建物ってあったかな〜?」
 30分たらずでガリステオの町に到着。そして郵便局探しが始まった。・・・が、予感的中。やっぱり、郵便局なんてない。どうしよう〜、もはやこれまでかぁ〜。・・・・・・・と思ったら、1軒だけ食料品と雑貨品をおいてる、小さな小さなお店を見つけた。缶ジュ−スを買いがてら、そこのお店のおばあちゃんに聞いてみると、「この町にはないよ、ラミ−の町まで行かなきゃならないよ。」と教えてくれた。「ちっ、ラミ−に行かなきゃないのか〜、でも郵便局の在処がわかったでけでも1歩前進。」と、いいきかせラミ−の町まで逆戻り。
 ラミ−の町もガリステオと似たような町で、家が数件建ってるだけの集落といった感じ。ただ違うのは、町に駅があり鉄道が通っていることだった。(後で分かったことだが、この鉄道はサンタフェとラミ−の町をつないでいる鉄道で、主に観光のツア−用に使われているらしい。)ここでもラミ−の町の道という道をくまなく走り回ったが、なかなか見つからない。ようやく探し求めたところは、ふつうの民家が簡単な郵便局の代わりをしているようなところだった。その民家の前に車を止めて降りようとしたら、民家の窓からこちらを訝しげにのぞきみている人がいた。多分、見知らぬ車、見知らぬ人なので警戒心からそういうふうにみてるんだろうと思い、こちらも少し警戒しながら、その民家に入るとおもむろに不機嫌そうな顔をした白人のおババがいた。その顔つきに、些か腹が立ったが、あくまでもこちらは土地の所有者が分かれば良いだけだからと低姿勢で、〈ココペリのペトログリフを探していること、そして、見学するにあたりそこの土地の所有者を教えてほしいこと〉を、おババに訪ねてみた。そのおババときたら、調べもせずに「そんなの知らない、ガリステオに言ってみれば」と、軽くあしらわれてしまった。本当に、最初から最後まで頭のくるクソ意地悪いババアだった。このババアのおかげで、ココペリを探す手だてがまたもやなくなってしまった。
 もはや、お手上げ状態。なす術がなくなり、こうなったら自力で探すしかない。もう1度ガリステオ目指し出発。何気に通っていたこの道路、そして目に入る光景にすでに馴染んでしまい、なんの新鮮みも感じなくなってきていた。ところが、ふと、何気にたっている看板が目に入ってきた。近くまで車を寄せその看板を覗いてみると、なっ、なっ、なんとそれは「ガリステオベイシン」の案内板ではないか。・・・とすると
この辺にココペリのペトログリフがあるんだ〜。今、目と鼻の先に我がココペリがいるのだ〜。しかし、サンタフェのガイドさんのいうとうり、私有地のため有刺鉄線がはりめぐされ勝手に入ることができないようになっていた。道なりに車を進めていくとまたもや、あるものが目に入ってきた。それは、ガイドさんがいってたような丘の上に馬のたてがみのような尾根状に岩がゴロンゴロン連なっていたのだ。この岩山のどこかに我がココペリが居るんだ、イヤ、待っているのだ。しかしというか、やはりというか、ここも勝手に入られないようにと有刺鉄線が張ってあった。私達が今できることといったら車を降り、口をくわえてながめることだけだった。しょうがなく、そのようにして、記念に写真におさめてきた。プラス、ガリステオベイシンの案内板と。
 ここで、私達の「我がココペリを探す旅」はおわった。あと、もう1歩だったのに。しかし、どうしようもない。後ろ髪を引かれる思いでガリステオをあとにした。
 でも、やっぱり気がおさまらない!我がココペリを諦めたにしてもペトログリフというものをみて見てみたい。そこで、ガイドブックに載っていたアルバカ−キのペトログリフナショナルモニュメントを訪ねることにした。早速、ビジタ−センタ−へ行き、入場料を払い、ガイドの人に聞いてみた。「ココペリのペトルグリフはありますか?」ガイドさんは「あります、ただ車でぐるっ〜と5分くらい廻っていかなければならない。」と親切に地図まで書いてくれた。ガイドさんのいうとうりに行くと、そこは全くの住宅街。「こんなところにあんのかい?」と思いふらふらしていると住宅街の裏手にゴロンゴロンと黒い岩山の集合体を発見。住宅街の脇道を通り抜け、その岩山までたどり着くと、あるわ、あるわペトルグリフ。真っ黒い岩に白色で描かれた動物やら、太陽やら、人間やらのペトログリフがいっぱい。あまりのうれしさに、手持ちのフィルムほとんど全てを使いきるほど写真におさめてきた。さらに、もっとうれしいことに、ココペリらしいのを発見。目標を達成できなかった分、違うココペリだけどこみ上げるものがあった。でも、これが我がココペリだったら、どんなにうれしかっただろうか!
 「幸せを呼ぶ神 ココペリ」、本当にココペリは幸せを呼んでくれるのだろうか?私事ながら、本当にそうなのではないかなっと思う。7年前、エスニック雑貨屋をはじめるにあたり、何気に付けた「ココペリ」という名の店が、3年まえより、店の名にちなんだ商品構成となり、インディアンジュエリーとサウスウエスト雑貨の店へと、生まれ変わることができた。私の今まで生きてきた人生の中で、これ程まで1つのことに執着し考え、充実した時間があっただろうか?『ココペリ』という名に出会い、そこから、インディアンの文化、そして、すばらしいインディアンア−トに巡り会えた。これも、ココペリの導きによるものではないだろうか?今回の旅は、残念な結果で終わってしまった。でも、いつの日か必ず、ココペリに逢う旅に出ようと思う。そう、夢を追うまだまだ旅は終わってないのだ。
 ということで、私は、生きる道と夢をココペリからもらったような気がする。
 ありがとう、ココペリ。いつか、必ず逢おう!!